登園拒否をはじめたばかりの一週間は保育園児ではできない色々なことをキューリくんと私二人でやっていた。と言っても、普通の母子からしたら当たり前のことなのかもしれない。
図書館で本を借りる、本を読む、公園で遊ぶ、映画に行く、外食をする、一緒に歌を歌う。そういう当たり前すぎること。
酷い鬱状態の私にとって外へ出ていかなければならないことは正直苦痛だった。
けれど保育園でずーっと暴力を振るわれて嫌な思いをしてきた、傷を負ったキューリくんの心をなるべくはやく楽にしてあげたいと、その一心で私は頑張っていた。
二人だけの一日に疲れてしまってキューリくんを怒鳴ることもあったけれど、それでも私と二人、ぴったりとくっつき合い、今まで甘えられなかった時間をここで取り戻してほしい、とさえ思っていた。
ただ一週間を過ぎると、いよいよ目新しいものがなくなり、そしてキューリくんの夜眠る時間がどんどんとずれ込み、日にちをまたいでしまうような時間まで平気で起きているようになる。
これはマズイな、と主人も私も感じ、キューリくんに保育園に代わる何かをやらせようと考えたのだった。
こうして『なるべく沢山の日にちが通える空手道場』探しが始まった。
何故ゆえに空手?かと言えば、理由はこれまた単純で、『暴力に負けない子になってほしい』『精神を鍛えたい』とか何の創意工夫もない、紋切型でしかなかった。
早速主人と私は家から通える距離にある空手道場をネットで検索をかけて目星を付ける。
ちなみに私自身が小学生時に糸東流という流派の空手を習っていたので、糸東流で探すが、週に1、2回しか入れないような感じであったので見学にすら行かなかった。
次に極真という、フルコンタクト空手(寸止めではなくて直接打撃)はどうか?と探す。すると、自宅最寄り駅の一つ隣の駅になるが、それなりの日数が入れるところを見つける。そして実際見学に行ってみた。
当時キューリくんは年中さんだったけれど、その道場にはその当時保育園、幼稚園の子はいなくて(小学生未満の子どもは募集していたが)、小学校低学年クラスの稽古を見学することとなる。
白い道衣の子どもたちはストレッチ中心の準備体操をし、その後基本的な動きをちょこっとやると全員が白い防具を身に着け、すぐに組手がはじまった。
私にはどう考えてもただのケンカにしか見えなかったのだけれど、それはキューリくんも同じだったようで、完全に固まっていた。
いや、もしかしたら暴力のことを思い出して嫌な気持ちになってしまったのかもしれない。私の服の裾を掴んで後ろに隠れてしまっていた。
見学の帰り道「キューリくん、今の空手習いたい?」と聞いてみると、キューリくんは大きな目をさらに見開いてイヤイヤと無言で首を振った。そりゃそうか。
私たちはそうして、3軒目に目を付けた道場へ見学に行くこととなる。
ここのホームページを見る限り、最大で週6日も通えるというのが魅力的であったし、またキューリくんの不規則な生活を正すにはうってつけだと期待したのだ。