翌日、私は道場主のところまで行って、キューリくんの膝の痛みは宇佐美くんのイジメによって精神的なものから来るものなのではないか、とナンバー2に指摘されたことを伝えた。
すると道場主は私にこう言う。
「幼稚園や小学生はイジメの心など持つはずがありません」
目が座っていた。
私は呆れた。幼稚園や小学生にイジメがないだなんて、教育の現場を知らない人だって言わないようなことを彼は平気で放ったのだ。
それは何だ?道場存続のため?ひいては己の生活を守るため?
だいたいこんなにも沢山の子どもたちを預かり稽古をさせ、何年も道場を経営しているのに、子どもによるイジメがないだなんてよく口から突いて出てきたものだ。この人は子どもの何を見ているんだろう。
その日はとりあえずキューリくんを稽古に参加させたけれど、帰ってから主人と相談し、私たちとは教育方針が大幅に異なるのだという結論に至り、翌日道場の退会を申し出た。
この一連の流れを知った人の中で、宇佐美くんと同じ幼稚園のお友だちのお母さまがいて、私は頼んだわけではなかったし、もう道場も退会したのだから関係ないと思ったのだけれど、「仲直りをした方がいい」と仲を取り持ってくださろうとした。
けれど宇佐美くんのお母さまが完全に無視を決め込んだのである。この親にしてこの子ありである。
あれだけキョロキョロとした目で、おしゃべりが大好きな宇佐美くんのお母さまがだ、「困ったことがあったら何でも言って」と話していた彼女がだ。自分の息子のことに関してはダンマリを決め込む。
彼女の教育論めいた考えを自信ありげに何度か聞かされたことがあるけれど、ここまで酷い親だとは思わなかった。
でも道場では将来有望の宇佐美くんを可愛がっていたし、そういう意味では道場主とお母さまの考え方というのは共通するところが多くあったのかもしれない。
一年間キューリくんはほぼ毎日道場に通い、家でも私が稽古をして(空手経験者)、そうして明らかに同世代の中では光るものがあった。
だからそういうキューリくんを宇佐美くんは脅威に感じたのかもしれない。
おそらくそれで潰しにかかった。
彼に切磋琢磨するという考えはなく、反則を犯してまで頂点の位にこだわる。
そのような思考の子どもを放置しておく考えが私は全く理解できなかったので、キューリくんの空手はかなりの腕前になっていたけれど、もうこれ以上は道場を信用して預ける気持ちにはなれなかった。
もったいない、などという気持ちはこれっぽっちも浮かばなかった。それよりもこんな汚染された道場にキューリくんを通わせてしまったこと、そのことを悔やんだ。
とにかく退会することとなる。
「どうしてやめちゃうの」
「もったいない」
「キューリくんが目標だったのに」
理由を知らない何人かのお母さまに引き留められる。
確かにキューリくんが登園拒否の時、毎日のように道場に通いお世話になった。
けれど道場の体質が分かった時点で、この道場とキューリくんはこれ以上一緒に歩むことはない。
謙虚な人であってもらいたいと思う。
謙虚は勤勉さを生み、そして大きな小さな実を結び、それを貯えに食べて大きくなることもできるし、売って商売をはじめることができるだろう。困った人に譲って、力になることもできる。
だから謙虚であってもらいたいと思う。