2時頃私の携帯に着信があった。キューリくんからである。
昨日はたまたま学校が終わる時間が早く、最終下校時間が1時半のはずだった。それだというのに2時頃電話があったのだ。
「お母さん、忘れ物したから学校に取りに帰る」
そうキューリくんは短く私に伝えると電話を切った。
また始まったか、キューリくんの忘れ物。キューリくんはとにかく何かを忘れて毎日帰ってくる。制帽、体育着、筆箱、鉛筆、消しゴム。ありとあらゆるものを忘れる。
「だめじゃない」と注意するとその場では「ごめんなさい」と反省するのだけれど、またその反省を忘れるのか、やっぱり何かを忘れて帰ってくる。
昨日は筆箱を忘れたようだった。
習い事は5時から。だから時間的にはかなり余裕があったので、私はキューリくんが忘れ物を取りに帰ることを止めたりなどしなかった。
2時40分頃。家のインターフォンが鳴る。
「はい」
「ぼくです」
キューリくんはいつも「ぼくでーす」と帰ってくるのに、何か少し元気がなかったように感じた。
家のドアを開けると、制帽をかぶらずに疲れたような顔をしてキューリくんが玄関に立っていた。
息が少し乱れているようにも思える。でもキューリくんはバス停から家までいつも走ってくるらしいので、それで息が弾んでいるのだと解釈した。
「お母さん、気持ち悪い気がする」
またいつものキューリくんの病気がはじまった。
キューリくんは習い事に行きたくないと都合よく具合悪くなることが多々あるのだ。その度に私は振り回される。
だから今日こそは振り回されないぞ。私はキューリくんの言っていることを適当に流した。
「暑い暑い。お母さん暑いよ」
キューリくんは我慢できないという風に自ら制服を脱ぎだした。下着と制服のシャツは汗でびっしょりであった。
それでも私はキューリくんの言っていることを信用していなかった。
何せ毎回のように嘘をつき、私を心配させここ10回程のお稽古事をお休みしているので、「またか」という気持ちしか出てこない。
「暑い暑い」
キューリくんが繰り返し言い、そうして居間の床に寝転がったので、本当に暑いのかもしれないと、クーラーをつけた。
「暑いんなら、何か冷たいものを飲んだ方がいいね。ジュースとお茶どっちにする?」
「ジュースください」
演技なのだろうか、キューリくんが弱弱しく答える。
「はい、持ってきたよ」
するとキューリくんは体を起こすことができなかった。これも演技なのか?私は仕方なくキューリくんの体を起こし、そしてジュースを飲ませた。キューリくんは一気に飲み干した。
「もう一杯持ってこようか」
キューリくんがうなずくので、もう一杯もってきてやはり上体を起こしてあげてジュースを飲ませる。
「お母さん、おしっこにいきたい」とキューリくんが言うので「いってらっしゃいよ」と返すと「自分で立ち上がれない」のだという。
仕方なくキューリくんを起こしてトイレまで支えて連れて行く。ここまでも私は疑っていた。キューリくんの仮病なのだと。
「お母さん、おしっこできないよ」見るとトイレの中でキューリくんがしゃがみ込んでいた。「立ち上がれないよ」泣きそうになりながら訴える。
これは何かおかしい。ようやくこの時点で私は異変に気付いた。
とにかくしゃがんでいるキューリくんをよいしょと立ち上がらせ、「女の子のやり方でいいからおしっこしてごらん」と便座に座らせる。
出てきたおしっこの色が茶色に近い、濃い色をしていた。
その後やはりキューリくんは暑い暑いと辛そうなので裸にし、布団の上に寝転がした。その状態で聴取を行う。
キューリくんの説明から推測すると、忘れ物を取りに帰ったことでいつもより20分多く歩いている、それからバス停でバスをやはり20分程待っている、しかもこの炎天下の中制帽を忘れ、何もかぶらずにいた。
以上のことを考えると熱中症に罹ったことがほぼ確実だった。「頭がくらくらする」「手がしびれる」症状を訴える。
私はもう一杯今度はキューリくんに麦茶を飲ませ、そして体をうちわで扇いでやった。体を触ると熱を帯びている。
主人にも相談して、救急車を呼ぶことになった。
こうしてようやく救急車がやってきたのが3時20分。キューリくん帰宅から40分経っていた。
救急車は家から一番近い総合病院へキューリくんを搬送してくれた。
救急ということで順番を待つことなくすぐに先生の診察が始まった。
熱中症の場合、本人の自覚症状で判断するようなので、キューリくんが主に答え、補足的に私が説明した。
先生は「軽い熱中症でしょう」という診断をした。
「口から水分を摂れるようならばいいですが、できないならば点滴をしますが」
キューリくんはこの頃にはほとんど普段を取り戻していて、首をぶんぶんと横に振り点滴を拒否するにまで快復していた。
そういうわけで特に何か処置を受けたわけではなく、ただ病院のベッドで1時間ばかり安静に横たわっていたら、帰宅を許された。
ところがちゃっかりしたもので、帰宅後すっかり元気を取り戻したキューリくんは、自分の経験をブログに救急車の絵を添えて日記として綴っていた。いやはや鋼のメンタル。
ニュースではよく「熱中症に~」だとか「熱中症が~」などと暑い時期になると耳にするけれど、まさか自分の息子が罹るだなんて夢にも思わなかったので、「熱中症なのでは?」と疑い出した時点で私は半分パニック状態になってしまい、適切な処置ができたかどうかは今更考えて猛省するばかりである。