つい先程、夜のど真ん中つまり深夜、キューリくんは盛大におねしょをしてしまった。
思い起こせば昨日、キューリくんはとても不安定な感じではあった。
まずは学校をお休みしたのである。理由は口内炎。
確かに口を開けるのが困難な程ひどい部類の口内炎ではあった。
けれど口内炎というのは学校を休むレベルの疾患というわけではないので、親としては勿論登校してもらいたかった。
「お弁当が食べられない」
「それだったら午前中だけで早退してくれば?」
「早退するんなら学校へ行く意味がないの」
深入りはしなかったけれど、何やらキューリくんなりの学校に対するこだわりがある様子。
こんなような会話を2、3度繰り返し、キューリくんの意志も固いようなので、それでは病院へ行って口内炎を診てもらおう、というのを条件に学校は休ませた。
病院へ向かう道々、キューリくんはピッタリと私の体に自分をくっつけ歩き、病院に着いて待合室の椅子でも腕をからめて私をホールドする。
何か緊張することや不安に思っていることがあるのかもしれない。でもそれが何であるのか私には分からない。
おそらくキューリくんもその不安の原因が何なのか自覚がなかったのかもしれない。理由がはっきりしているものならば、キューリくんは大抵教えてくれるからだ。
つまりキューリくんも私もその不安の理由が分からなかった。
でも不安なのは態度から分かった。
心なしかチック症状も強いように思われたし、何か大きなものを抱えているのだろうと、漠然と理解した。
私は問い詰めることなく、キューリくんと日中過ごすことにした。
家に帰ってからも同じ調子で、「お母さん読んで」と次から次へと本を私のもとへ持ってくる。
はじめこそその調子に付き合うことができたのだけれど、私は持病があるために段々と合わせることができなくなり、とうとう「横になってもいいかな?」とキューリくんにお願いした。
すると今度は「ぼくがお母さんに読んであげる」と絵本を何冊も私にやはりピッタリと寄り添いながら、おだやかなゆっくりとした声で読み聞かせる。
私は実のところ、キューリくんの不安の原因が知りたいしできれば取り除いてあげたかったけれど、そう考えるのをやめた。
それは本人に問題の決着させるという癖をつけさせることは、今後の彼の人生の歩みを考えた時、とても重要であり授けられるべき能力であると思ったからだ。
キューリくんの足元にある大き目の石を私が取り除くのではなくて、キューリくん自ら回避する力をつけるチャンスなのだと、そんな風に前向きに捉えるようにした。
ところがそんなに物事というものはうまくいかず、先程のオネショなのである。
ともかく言えることは、最近はチックも激しくオネショもしているという、非日常をキューリくんが送っているということ。
日常生活に戻すために手を取ってこちらの方に引っ張ってあげたいけれどビクともせず、寧ろ悪化すら辿っている傾向にあるということだ。
チックもオネショもSOSであることには間違いない。
だからといって無菌状態のように全ての石を取り除くのは違うと思うし、かといってどの程度まで取り除いてあげるべきなのか、悩ましいところである。
何が正しいのか全く分からない。