ADHDと共に生きる

キューリくんは妊娠8か月の時に生まれた。つまりこれが影響して脳機能が未熟なままで外に出てきてしまったのかもしれない。

または両親のどちらかが発達障害であり(診断は下ってはいないが)、その気質を受け継いでしまったのかもしれない。

ところがこうして原因を探ったとしても、キューリくんのADHDは治らないのだという事実。

見た目からは分かりにくく、誤解を生むことが多々あるだろう。

本人がコントロールできることではないので、それに苦しむことになるだろう。

私たち両親がこの世を去った時、この子は1人でも生きて行けるのか。

そうできるために、キューリくんには何か生きていける特別な技を身につけさせてあげるべきか。

それとも私たち両親が今まで以上に頑張って働き、キューリくんが困らない程度の財産を残そうか。

今、明日がキューリくんが無事で過ごすことを祈る。

問題があればすぐそこの場所へ出向き、頭を下げる。

今はまだ私たち両親がある程度は守ってあげられるのかもしれない。けれど社会に出た時に、守ってはあげられない。

いや、ADHDが理由となり、社会にそもそも羽ばたいていけないのかもしれない。

こうして考え出すとキリがないほどのネガティブな事柄が頭の中に次々と生まれてくる。

ところで私自身『全身性エリテマトーデス』と『双極性障害』という2つの病気を持っている。

2つに共通していることは、私が感じる限り「見た目では病気かどうかは分からない」「原因が分からない」「治らないので一生戦い続けなけれなならない」ということである。

これらのことは性質が違うとはいえ、ADHDとの共通点を感じなくもない。

つまり、何となくではあるけれど、「キューリくんも私のような苦労や努力を強いられる」という風に考えられなくもないのだ。

そういう観点から見れば、キューリくんはADHDに右往左往することなく、開き直ってどっしり私のように構えてればいいのだ、というアドバイスを与えてあげることができる。

今まで持病があるなんて、何も良いことなんてなかったけれど、ここに来て私の体験はキューリくんがくじけそうになった時、大いに役立つのかもしれないのだ。

もちろん障害によって引き起こす状態を改善しようという努力は必要だろう。けれど「障害なんだから」というある程度の開き直りは必要だと思う。そうでないと潰れてしまう。

ADHDの人間は社会のゴミなどではない。

サポートさえあれば導き方によっては素晴らしい結果やものを作り出す、スーパー人間にも成り得る。

彼らを叱って劣等感を植え付けるのではなくて、「いかにすればキューリくんは宿題を楽しく片付けられるだろうか」そんなトンチめいたことをサポートする大人は考えるべきである。

彼らは私たちに何度も立ち止まらさせ、そして私たちに何度も考えさせる。

なかなかこんなに丁寧に子供を育てる機会はないと思うし、普通だったら流してしまうようなところを、細かく見つめて一緒に生きて行く。

正直面倒臭い時もあるけれど、その分想像を超えた喜びが待っていることは確かである。

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