一昨日、形状が変化する程激しく何かで削り取られた痕のあるキューリくんのえんぴつが2本見つかった。キューリくんが言うにはお友だちの菅野くんにガリガリと噛まれたというのだ。
キューリくんには噛み癖はないし、確かに同じ班に菅野くんがいる、ということで昨日連絡帳で先生には状況を質問したのだった。
すると先生は、菅野くんに鉛筆の激しい噛み癖があるのは以前から知っていたようなので、もしかしたら?と疑ったのだろう。
結論からすると、キューリくんと菅野君と、それから同じ班のお友だちからも聴取したようなのだけれど、菅野くんの方が「やっていない」「覚えていない」と言うのでそれ以上踏み込むこともできず、「今後気を付けます」というのが学年主任の先生からの回答であった。
言い方は悪いけれど、現行犯でないとこの先生は基本的には受け付けてくれない(1年生の時から担当だったので知っている)。
ところがキューリくんはこの先生と相性が悪いのか、だいたい「こんなことされた」「あんなことされた」ということは学校で言い出すことができず、家に帰ってから私に伝えてくれる。
こうして私の方から先生に伝えることになるのだけれど、そうするとその都度「何故その場で言わなかったのか」ということで、叱られるのだ。
確かにこの先生のおっしゃることも理解できる。
けれどこういう先生のやり方(考え方)であると、活発にハキハキと発言のできる子どもの意見のみしか聞かないよ、と言われているように思えてならない。
キューリくんはおそらく先生に叱られるたびに委縮してしまい、そうして自分の言いたいことが伝えられず、その代わり私に危機を訴えてくる、そういう風に完全にパターン化されてしまっているのだ。
「キューリくん、何か嫌なことをされたら、先生に伝えないといけないよ」「お母さんは学校についていくことはできないんだから」「担任の先生は学校ではお父さんやお母さんなんだから(学年主任と担任)」
「うん、分かったよ」と返事はするものの、一度できあがってしまった回路を直す(又は壊す)ことは難しいのか、結局重要事を家に持ち帰ってきてしまい、そうして先生に怒られるのを繰り返している。
キューリくんの発言をよくよく聞いていると、徐々になのかそれとも何か衝撃的な出来事があったのか、とにかく担任や学年主任の先生を信用できなくなってしまったようなのであり、結果「信用できない人間には相談できない」という思考を作り出してしまっているのではないか。先生に対して軽い拒絶すら感じるのだ。
うーん、でもそうなってしまった以上仕方ないか。嫌いなものは嫌いなんだしな。大人にも人間の好き嫌いは当然存在するのに、子どもにばっかり『人類皆兄弟』を強いるのもどんなものか。
わかったよ、キューリくん。そんなに先生に相談し辛いのならば、今まで通りお家でお父さんとお母さんが話聞いてやるよ。
先生に一緒に怒られよう。