「キューリくんを褒めようと必死にそういう場所を探すんですが、なかなか見つからないんですよ」
という学年主任の言葉がなかなか頭から離れない。
キューリくんが学校から帰ってくると、「先生に無視された」「悪くないのに悪いことにされた」と訴えてくることがある。私は一応キューリくんのこれらの話を聞きはするが、あまり問題視せずにきた。
ところがキューリくんのそれらの言葉と主任の言葉を結びつけると、短絡的かもしれないけれどキューリくんは生徒として先生に愛されておらず冷遇されている、という風に解釈できなくもないのだ。
こうなると私としてはそんな先生の元にキューリくんを預けるのは到底安心できず、一刻も早く精神的に劣悪な教育環境から助け出さなければならない、と考えている。
主人は何と考えているのだろう。キューリくん就寝後、普段殆ど喋らない主人を捕まえて意見交換のような場を設けた。
「もう学校はやめた方がいいと思う。先生に疎まれながら学校生活を送っても良い影響があるとは思えない。それにキューリくんもバカではないから、もうすでに先生の態度に気付いているようだし」
「その場合転校先をどうするか、ということになるよね。私立は編入試験に受からないといけないし、公立だと、近所の学校へは通えないから引っ越さないといけない」
「そうだよね。近所の学校、小さな学校だし、知り合いも通っているから噂を立てられて、イジメの原因になりかねないものね」
「でも引っ越すということは持ち家を手放すことになるから、全く手元に財産が残らない不安もあるしね」
「そうは言ってもキューリくんの教育環境を一番に考えるべきだと思うんだよね。難しいな」
「ほんと難しい…」
結局良い案が導き出せたわけでもなく、結論にたどり着いたわけでもなく、我々夫婦は堂々巡りに疲れ会議を終了した。
だいたいこんな重要な事柄、数時間で解決する話ではない。
とにかく今週学校側に呼び出されているために、そこで担任と学年主任がどういう態度に出てくるかで、我々親子の進むべき方向は決まるような気がするが、あまり良い結果を期待しない。
結果いばらの道を歩むことになるのかもしれないけれど、その時になってみないと分からないことなので今から恐れても仕方ない。
とにかく今、私が気になる言葉はこれだ。
「キューリくんを褒めようと必死にそういう場所を探すんですが、なかなか見つからないんですよ」
どう解釈しても教育放棄の姿勢にしか聞き取れない。