片付けられない理由はADHD以外にもある

キューリくんは指示をされれば片付けられるのだけれど、自分で部屋の散らかりに気付いて、つまり自分自身で空間をプロデュースして整理整頓をする、ということができない。

勿論ADHDという障害がために整理ができないのは明らかであるけれど、彼の動きを観察していて思うに、実はこれ以外にも理由がありそうだ。

それは捨てるのが勿体ないと、物を大切にするが余りに物をため込んでしまう習性があるということ。

先日キューリくんの部屋を掃除し、大量のレゴブロックを捨てようとした時。

キューリくん、最近はレゴブロックではもう遊んでいなくて、何か立体的なものを作る時には、学校などでよく見かける、緑のマス目の入った工作用紙を使って創作しているので、レゴは部屋の隅で埃をかぶっている状態である。

レゴブロック側から表現するならば、完全に開店休業状態である。

そこで部屋のかなりの部分を占めるレゴブロックを、捨ててしまってスッキリしてはどうだろう、という風にキューリくんに持ち掛けてみた。

するとキューリくん、顔色を変えて「でもまだ使う時があるかもしれないし!」と阻止する。

こうして「でもさ!」「だってさ!」のバトルを数分繰り返した後、揉めるのが面倒臭い私は、レゴが留まることを許可することにした。

それにしてもやはりレゴブロックで遊んでいる気配がない。

どうやら物を捨てられない理由には、ADHDなので管理ができないという他に、独占欲の強さ故に手放すことができないということも加えられ、状況を酷くしている節があるのだ。

レゴブロック以外にも目を移してみる。

例えば、『宝箱』と称して文字通り、大事なものを入れておく箱があるのだけれど、整理整頓できていないそこはいつも満杯であり、時には宝がこぼれ落ちそうになっている具合である。

「これは宝なの?そうじゃないの?」

時々こうして宝箱の整理を一緒にすることがある。

「宝」「ああこれも宝」「うーんこれも宝かなー」

小さな消しゴムのカケラですらキューリくんに言わせれば宝となり得る。

「これはいらないんじゃない?」

思い切って提案してみる。

「うーん、でも使うかもしれないし」

片付けられない人の基本的思想『使うかもしれないし』。

この思想がキューリくんの場合、どのように培われていったかというのは、もはや分からない。

そして否定すべき思想ではない、ということも事実である。

昨今の何にでも対する使い捨て感覚よりも、長い目で見ればずっと優れた生活術であるからだ。

けれども物事には限度があるという言葉通り、あまりに行き過ぎた執着はゴミの山を産む結果となり、却ってその生活術は私たちの空間を窮屈にしてしまうことが多々ある。

ようするに「勿体ない」と思いかき集めたものをきちんと管理できるのか、ということに尽きるわけだが。

キューリくんはかき集めることはできるけれど、管理はできないのだ。

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