WISC‐Ⅳその後 ペアレントトレーニングを知る

キューリくんが小学校に入学した去年のこと、ゴールデンウィーク期間に私が1週間ほど入院したことがあった。

そしてどうやらキューリくん、この体験がきっかけとなり学校へ行けなくなってしまったのだ。

入院の当日、手続きのこともあり、主人とキューリくんそして私の3人で病院へ向かった。

私の部屋が個室だったということもあり、小さなキューリくんの入室も許され、そうして3人で夕方まで部屋でまったり過ごすことになる。

手術は2日後であったので、特に私に制限などもなく、それからキューリくんにとってはうれしかったのが、テレビがあるということだろう。

家には教育上よろしくないとテレビを置いていないので、ここぞとばかり、本来ならば私が横たわるはずであろうベッドに寝転がり、思う存分テレビを楽しんでいた。

さて面会時間終了の放送が流れてきた。

「そろそろ帰ろうか」主人がキューリくんに促す。

「えー、まだ帰りたくないよ」テレビが観たいキューリくん。

「でももう、帰らなきゃいけない決まりなんだよ」

「はーい」

キューリくんはしぶしぶベッドから起き上がり、帰り支度をする。

エレベーターホールまで主人とキューリくんを見送る。

「それじゃあまたね!」

努めて明るく私はそう2人に言った。

「バイバイ!」

キューリくんがおどけてみせる。

エレベーターが閉まり、2人の姿が消えた。

私は何だかほっとして部屋に戻り、そうしてようやくベッドに体を横たえることができた。

30分くらい経った頃だろうか。主人からスマホに着信がある。

「キューリくんが帰り道ずっと泣いていて、止まらない」というのだ。

主人とキューリくんが2人で出掛けるというのは日常的によくあるのだけれど、しかしこんな風に困って電話してきたことなど、一度もなかったのである。

だからこそとても驚いた出来事だった。

別れ際あんなに元気だったキューリくんなのに、どうしたことだろう。

電話をキューリくんに代わってもらう。

「お母さんの手術は大変なものではない」「一週間すれば退院できて、またキューリくんと暮らせるようになる」「だから心配しないで大丈夫」

これらを優しくゆっくりとキューリくんに説いたつもりだった。

「わかった」

電話口なので表情が伝わってこなかったけれど、キューリくんは理解してくれたと思っていた。

問題が起きたのは私が退院後、すぐからであった。学校へ通えなくなってしまったのだ。

はじめは朝、家でぐずぐずとして着替えや用意が遅いだけなのだと思っていた。

それが連日のこととなっていき、とうとう1人で学校へ通えなくなってしまう。

特に学校でいじめられているとか、授業がつまらないとか、そういうことではなさそうだった。

「学校へ行くか?」と問うと、顔を歪めて大きな声で泣き、そうして結局学校をお休みする。

そういう日々が1か月以上続いただろうか。

主人と私は困り果てて、女子医大の発達外来を受診することにしたのだった。

そこでは先生が優しくキューリくんに語り掛ける。キューリくんが話しやすい雰囲気を作り、キューリくんの本心を探ろうとしていた。

キューリくんが先生に心を開きかけたほどよいタイミングで、先生が核心をつく。どうして学校へ行かないのかを。

するとキューリくんがつたないながらに教えてくれた。

「お母さんがまた家からいなくなってしまったら悲しいから」「お母さんが家からいなくならないように見張っている」というのである。

キューリくんにとって、母親が1週間いなかったというのはとてもショックな出来事だったのだろう。大人の私には理解できない感覚であった。

先生はおっしゃった。

「投薬するほどのことはないように思うのでこのままでいいと思いますが、もし気になるようであったら『ペアレントトレーニング』を受けてみますか?」

「それでもだめなようなら、その時投薬するのかどうするのか、相談しましょう」

ペアレントトレーニング。

聞き慣れない言葉だった。

とりあえず主人がペアレントトレーニングを申し込む連絡先を先生から教わった。

これが私たち両親がペアレントトレーニングを知るきっかけとなったのだった。

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