なるほどナルホド。そうでしたか。
よく考えればだ、キューリくんの登園、登校拒否というのは毎年同じ時期に偏っているのだった。
それは梅雨に入る前の時期、一般的に大人が五月病を引き起こす時期と被っている。
4月、新生活に馴染もうと心を目いっぱいに膨らまし、しかし段々とそれを保つことが困難になり萎みゆく5月。
そういう時期にキューリくんは決まって登園、登校拒否をここ数年引き起こしているのだ。
もっともらしい理由をつけて欠席を繰り返しているけれど、結局のところ頑張って張りつめていた心が耐えられなくなり、萎んでしまった、ただそれだけのことなのかもしれない。
ところが表面上は一般的なものとは逸脱した行動を示すので、親は驚き不安に思い、この先どうしたら良いのだろうと途方に暮れる。
先の見えない鬱状態のような我が子を抱え、如何にすべきか、この子のやる気を取り戻すためにはどうすべきなのか、と焦ってポジティブなものを与えてみたりする。
ところが子どもは無反応。
この繰り返しにより、親もまた心が疲弊していく。
このように子どもの五月病というのは子だけでなく、保護者である親の活力さえも奪いかねない、そういった怖さがある。
ちなみに私は恥ずかしながら、自分でブログを書いていてこのことを発見した。
「そういえば同じ時期にキューリくんは登園、登校ができなくなるよな」ということを。
今更気付けた、やっと気付けた。
キューリくんとは五月病に陥りやすい、頑張り屋さんとも言えるし、心のバランスを取りにくいタイプの人間なのかもしれない。
同じ調子で1年を過ごすことが難しく、力加減が分からないのかもしれない。そんなことを思いついた。
普段の生活を見ていても、静かに絵を描いている時もあれば、算数の問題が分からなくて大声を上げている時もあるし、私に本を読んでほしいと甘えてくる時もある。
つまりキャラが一定していない印象を受けるのだ。
おそらく心の振り幅が大きく、彼自身それに付いていけなくて振り回されているのではないか。そういう風に考えると合点がいく。
◇
ところで今日キューリくんが登校した。
理由は「体育の授業があるから」というだけである。
確かに先週2日休んだ曜日は、勉強系の授業が詰まっていたので、行きたくないという気持ちは分からなくもない。
案外そういう小さなことが理由で五月病は発症し、『行かない日』が積み重なることで『行けない日』が出てきてしまい、しまいにはとうとう登校できなくなる、という道を辿るのではないかと思ったりもする。
何れにせよ大人は子どもの心に耳を澄まし、『この子は今どのレベルなのか』ということを見極めることが大切なのではないだろうか。