昨日は習い事があったので、キューリくんとは駅で待ち合わせていた。
キューリくんがやってくるであろう方向に目をやり私は待っていた。
ほどなくしてキューリくんらしい顔立ちの子が遠くから歩いてくるのが見える。
ところがその子は口をゴニョゴニョと突き出したりすぼめたりを不規則に繰り返し、口だけがとても目立っているように見えた。
近づいてきた少年はやはりキューリくんであった。
「お母さん!」
そういって甘えながらもやはり口をゴニョゴニョと動かす。
チック症が再発したようだった。
思い返せばキューリくんがはじめてチックをしたのは、幼稚園年長の秋のことだ。
何の前触れもなく、口をゴニョゴニョと顔を歪めるような表情を取るようになった。
私はそれがチックだと分からず、「変な顔をしないで!」と時々注意していたように思う。
けれど注意しても治ることはなく、むしろ頻度は増すばかりでネットで原因を探ってみることにした。
そこで行き着いたのが『チック症』である。
早速女子医大の小児科を予約し、主人には会社を早退してもらって3人で病院へ向かう。
先生はキューリくんが生まれた時から担当してくださっている先生で、とても丁寧な診察だ。
「チック症ではあるけれど、今すぐ投薬が必要というレベルではないと思います」
キューリくんと何気ない会話をする中で、先生は彼の顔の動きを観察して判断したのだろう。
「治る時もあるけれど、また何かの拍子で症状が出てくる時もあります」
それは治らないこともあるということなのか。ショックを受けた。
丁度この時期幼稚園ではお遊戯会があり、キューリくんのクラスは「しらゆき姫」の劇を演じることになっていた。
キューリくんは王子様役で大事な役だ。またこの王子様役は、ストーリーを途中で読み上げることが何度もあるので、出演が多い。
このままでは皆の前で緊張して顔をゆがめ、そうしてそれをお友だちや父兄のみなさんに見られてしまうのが、とてもかわいそうに思えた。
どうにかならないものか。
小児科の先生はおっしゃった。
「とにかく親は気にしないこと。気になってもやめさせようとするのではなくて、そのままにしておくこと」
そうは言ってもお遊戯会当日、大丈夫なのだろうか。
治るという約束もなく、途方に暮れ診察室を後にした。
キューリくんは病院という非日常の空間に興奮し、病院の中にある売店でお菓子を買ってもらい、口をゆがめながらも喜んでいる。
さて劇の当日、やはりキューリくんの口は時々歪んでいる。
ところが上演後、お会いするお母さまお母さまに「キューリくん声が大きくて立派だったよね。びっくりした!」というようなことを繰り返しほめていただいた。
確かに舞台でのキューリ王子は堂々としており、沢山あるセリフを噛むことなく、立派にやり遂げていた。
私は息子を誇らしく思った。
と同時にチックのことは、気になっても本人に指摘などせず自然に治るのを気長に待とう、とようやく覚悟したのだった。
それからしばらく数か月もキューリくんはチックをやり続けたけれど、徐々に頻度が減っていき、小学校1年生になる頃には消失していた。
その後小学1年生の秋頃、チックが再発したのだけれど、この時はもう病院に駆け込むなんてことはしなかった。いつか治るのだからと信じ、普段通りの生活を送っていた。
この時のチックは治りがはやく、2か月くらいで口をゴニョゴニョとしなくなった。
電車に乗り込みキューリくんを空いている席に座らせ私はキューリくんの前に立つ。
キューリくんはだまってお行儀よく座っていたけれど、口はやはり動いている。
再発。目をつぶりたい瞬間だ。
でも普段を装い、普段を作らなければならない。
私は「普段通り」という舞台を演じなければならない。
かつてキューリくんが立派に演じたように、私も優れた演者でなければならない。
舞台はいつか感動を呼び、そうしてキューリくんの症状は止むのだと信じて。