キューリくんを産み、体力の消耗が激しかったこともあるのだろう、私はしばらく分娩室でそのまま寝転がっていた。
すると頃合いを見て助産師さんが声を掛けてくれ、隣の部屋のNICUへと連れていかれる。先生からの説明があるという。
NICUには先に主人がいて、「おつかれさま」と言われたのだったか。
一同でキューリくんの保育器を囲み、先生のお話がはじまる。
体重が生後数日の間に減少していくことがあるけれど心配しなくていいこと、黄疸が出現することがあるけれど、特別なことではなくてよくある現象だということ、障害のリスクが通常に生まれてきた赤ちゃんよりも高いということ。
今思えば絶望的な言葉もあったけれど、その時の私はキューリくんを産んだ高揚感に包まれて、何も心に刺さっていなかった。
ただただキューリくんに触れたい、それだけだった。それは主人も同じ気持ちだったのかもしれない。
保育器の小さな窓を開けてもらい、主人と私は交互にキューリくんのからだを優しく触る。身長は臨月を経て生まれてきた赤ちゃん並なのに、体重が1434グラムしかないためか、体はガリガリだった。
少しでも誤ってしまえば、折れてしまうような、か細くはかない命に思えた。
子どもを産んで育てる責任感から発せられる、緊張だとか後悔に似たものさえ、ぐっとこみ上げてきた。
「キューリくん」
人差し指をキューリくんの手に置くと握り返してくる。ぬるい肌の感触が私へ伝わってくる。主人は目を細め、何度も名前を呼んでいる。
子どもの親になるという重さが今更のしかかってきた。もう後戻りはできない、私たちはこの子の親なんだ。この子の親は、私たちしかいないんだ。
沢山の管につながれたキューリくんだったけれど、私たちにとって唯一のキューリくんだったし、この命を絶やすことなくこれからは生きていくんだ、自覚が芽生えた時だった。
いつまでもいつまでも彼のそばにいたい、でもキューリくんは保育器の中。病院のスタッフを信じ、健やかな成長を遂げられるように導いてもらう。
いつかキューリくんが大きくなった時、キューリくんはお医者さまや助産師の方々、色んな人の抱っこや愛情に包まれて育ってきたのだと伝えてあげたい。
一つの命を壊さないように未来へ運ぶことの難しさよ。私たち親は、何度も何度も失敗を繰り返しながらも、すぐそばで彼の成長を見つめ、そして親として人間として、こちらも成長させられる、小さな一歩でしかない日々。